The Story of
Matsukyu in Kawagoe
川越・松久物語
川越は“ごぼうの町”だった
川越市は、江戸時代から続いたごぼうの名産地だったことをご存じでしょうか。
第二次大戦が終わって間もない頃でも市内には20件ほどごぼうを取り扱う業者があり、
それこそ日本を代表するほどの規模だったのです。
後の松久創業者となる村田久雄もまた、
農家を営む一方でごぼうを取り扱う業者を始めました。
松久商店のはじまり
ほとんどのごぼうを取り扱う業者が個別に収穫物を市場に卸していたこの時代、
久雄は周辺の農家から仕入れをしたごぼうを市場へ卸すため、
自転車のリヤカーに土付きごぼうを積み上げ方々の市場へ出向きました。
これが元となり、昭和30年にごぼう問屋「松久商店」が誕生しました。
松久という社名は、川越市下松原の「松」と、
創業者である久雄の「久」を組み合わせたものです。
関東一円へ広がる信頼
関東一円の市場で認められた確かな品質
松久のごぼうは関東一円の市場で取引されていて、その存在は小売業の皆さまに広く認知されていました。
そして、松久が取り扱う「入間ごぼう」の品質は高く評価されていました。
加工品の開発と事業の飛躍
ごぼうをもっと便利に、もっと身近に。
そんな中、2代目の久次郎がきんぴら用のごぼうとニンジンのパックといった加工品を製造。
小売品としてだけでなく、総菜製造メーカーなどにも多く利用され、事業躍進の立役者となりました。そして昭和40年頃から、市場への卸に加えて、スーパーマーケットとの直取引が徐々に増えていきました。
名産地・川越の衰退
スーパーマーケットなどの取引先との良好な関係が続くなか、
ごぼうの連作障害などにより
川越市内のごぼうを取り扱う農家が段々となくなっていきました。
ごぼうを取り扱う農家が減り、
ごぼうの名産地としての川越が終焉を迎えました。
Transition 企業化と安定供給への転換
松久は関東一円のお客様に高品質なごぼう商品を安定供給できるよう、昭和60年にこれまでの個人商店から企業化、株式会社松久として新たにスタートしました。創業時からのこだわりである、新鮮でごぼう本来の食感が活きた生ごぼうをお届けするため、企業として青森や九州各地の仕入れ先と親密なパートナーシップを結ぶとともに、ごぼうと人参専用として日本最大級の冷蔵倉庫を保有。一年を通じて安定した供給体制を実現しています。川越のごぼう生産はわずかになりましたが、名産地時代を知る者として、これからも健康食材・ごぼうを川越からお届けしていきたいと思っています。